歩 み の 会 と は

 会則二条に「心身に障害を負う人達を中心に仲間どうしが支えあって、みんなの成長と幸せのために活動してゆくことを目的とする」とかかげてあります。どうみても不自然な表現です。ほんとうは「中心に」などと言わないで、障害を負う人も負わない人もさりげなく、ありのままに溶け合って暮らすことが自然です。(100の生命が誕生すれば、そのうちの幾つか障害を負って生まれてしまうのは人間だけでなく生物界全体におこってくる現象です。今はさらに人間自身がつくり出した障害も出始めています)
 人間のつくり出した文明が発達してゆくに従って、弱い人や手のかかる人を一まとめにして健康な人達とは別のところで、めんどうをみてやる、といった方式ができあがってきました。そして、その方式の中で健康なものたち自身が息苦しさを感じるようになってきています。いまや、私達は自分自身を安心させて生きてゆくために、周りの人をけ落とし、かきわけ、少しでも前に出ようとする、まるで競走馬のような人生を生きることを強いられているかのようです。苦しくてしょうがない、味気なくてつまらないと言いながらも大きな流れに身をまかせてしまっています。これはどうしようもないことなのでしょうか。
 そうじゃないと思うのです。一人一人が自分なりに生き生きと生きてゆきたいと言い、行動し始めれば変わってくると思うのです。そして、自分が尊重されたいと思うように他人のことも尊重するようになれば、違ってくると思うのです。
 能力があるとかないとか、力が強いとか弱いとかをもひっくるめた一つの個性として一人一人がかけがえのない存在として尊重される、そんなつながりを回復したい。
 それが歩みの会の目的です。もし、私達の願いが実現すれば、もう歩みの会という特別な活動はいらなくなる、そんな当たり前なことです。でも、今はやはり「心身に障害を負う人を中心に・・・」と言わなければならないのが現実です。

 私達は多くの方々の御協力で、「みんなの家」を建てました。そこでさまざまな日常活動をやりながら「共に生きる」道をさぐっています。よろしかったらあなたも参加なさいませんか。

1974年 歩みの会代表 寄村 仁子